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森の学舎五ヶ荘

嘗ての五ヶ荘小学校が、地域のコミュニティ・センター 『森の学舎 五ヶ荘』 として、平成19年に新装オープンしました。
♢♢♢ 学舎内の風景 ♢♢♢
嘗ては五ヶ荘学区の小学校であった学舎が、五ヶ荘地域コミュニティ・センター『森の学舎 五ヶ荘』として平成19年に新装オープンしました。
地域住民にとっては思い出の尽きない懐かしい校舎であり、地域文化の中心的な存在でもあった学舎は今、地域の交流と絆をより一層深め広めていくための拠点として、様々な事業活動を展開しています。この取り組みが次世代へと引き継がれて、更に発展していくことを願って止みません。
活動内容は、逐次チラシ等でお知らせしていく予定です。下の写真は、イベントがない平日での学舎内の様子ですが、興味・関心のある方は、是非とも立ち寄ってみて下さい!来訪をお待ちしています!
連絡先:0771-73-0605
画像をクリックすると拡大できます!

桜満開の学舎
校門の桜並木が、4月の入学式と新学期にはピカピカの1年生達を華やかに歓迎してくれ、学期末には巣立ってゆく卒業生達の門出を優しく見送ってくれました! そして今も地域の人々を温かく見守ってくれています。

桜満開の学舎全景

紅葉と公孫樹の学舎
秋になると、校門の紅葉や校庭の公孫樹が鮮やかに色づきます。休み時間には、学生達も校庭やグランドに出て遊んだり走り回ったりして、ワイワイガヤガヤと賑やかに楽しんでいました! そして今も地域の人々の憩いの場となっています。
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11月21日、ふれあいハイキング終わる!
令和3年11月21日に開催された「ふれあいハイキング」は、行楽日和に恵まれて森の学び舎五ヶ荘を起点に八景の内の3ヶ所を巡り歩いて無事終了しました!
JRパンフレットに掲載された旅案内を見て申し込まれた京都市・寝屋川市・枚方市の方や五ヶ荘区内合せて24名の参加応募があり、午前9時に森の学び舎五ヶ荘へ集合して準備体操をした後、新型コロナ感染防止に万全を期しての出発となりました。
先ず四ツ谷八景の案内板でコースの説明を受けた後、岡安神社へと向かい紅葉の本殿を見学しました。更に若狭街道の海老坂峠中腹にある玉岩地蔵では、お堂と籠り堂及び舞台楽屋を見学し境内の紅葉を楽しんだ後、各自思い思いの場所で昼食を摂りました。そして春には旧道沿いの桜並木が美しい寶林寺へと巡り、立派に改修された本堂や国師岩を模したという中庭、宝暦二年鋳造の梵鐘などを見学しました。
参加者は各自のペース配分で晩秋の紅葉を楽しみながらコースを巡り、現地では伝説や歴史について主催者代表の上原さんに説明をして頂いたり、玉岩地蔵堂役員(6名)や宝林寺総代長の皆さんにお世話になるなどして充実した歴史散策となりました!
下の写真は、ふれあいハイキングの様子です。
画像をクリックすると拡大できます!

四ツ谷八景パンフレット

四ツ谷八景 案内板

岡安神社への道中

岡安神社 紅葉

岡安神社 鳥居

岡安神社 境内



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~丹波史談会 湊 友三郎さんの講演より~
1.本能寺の変:三つの要因
・信長に自分が殺られる恐怖から叛意。
・信長による四国政策の転換に対する不安。
・本能寺の警護手薄な宿泊。
2.明智光秀の三日天下:極秘の単独行動
変後の敗因は、細川・筒井氏等の力武将を味方
にできなかったこと。他の武将は「光秀は右腕
的存在、次の天下人は秀吉」を選択した。
3.羽柴秀吉の天下統一:信長の後継者
高山・池田氏等の有力武将を味方につけ、巧み
な情報操作と迅速な中国大返しにより、山崎の
戦いで光秀を破り天下統一への足固めをする。

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~丹波史談会 小畠 寛さんの講演より~
明智光秀は、本能寺の変で主君織田信長を討った下剋上の主で、また比叡山焼き討ちの実行犯として主導した、悪辣非道・暴虐的な謀略家という烙印を押されている。
光秀は果たしてそのような悪者だったのだろうか?信長の命により代官として丹波入りした彼は、亀山城・福知山城・周山城などを作り、地子銭免除や水害防止用堤など城下の領民に善政を施した名君として末長く慕われており、また協力した国衆への病状を気遣う書状も残されているなど優しい一面がある。
明智光秀の人格と「本能寺の変」の真意(私見)
1.教養人であり決断力のある武将だった。
2.説得しても従わない勢力には果断に対処した。
3.恩のある信長の意には基本的に背かなかった。
4.家来・与力・領民には優しく思いやりがある。
5.戦国の世を早く終わらせたいと希求していた。
6.信長の天守論にはついていけなかった。
7.天正10年の5月末から6月初めは、絶好の
機会だった。
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