​森の学舎五ヶ荘

嘗ての五ヶ荘小学校が、地域のコミュニティ・センター 『森の学舎 五ヶ荘』 として、平成19年に新装オープンしました。

 ♢♢♢ 学舎内の風景  

​嘗ては五ヶ荘学区の小学校であった学舎が、五ヶ荘地域コミュニティセンター森の学舎 五ヶ荘して平成19年に新装オープンしました。

 地域住民にとっては思い出の尽きない懐かしい校舎であり、地域文化の中心的な​存在でもあった学舎は今地域の交流と絆をより一層深め広めていくための拠点として、様々な事業活動を展開しています。この取り組みが次世代へと引き継がれて、更に発展していくことを願って止みません

 活動内容は、逐次チラシ等でお知らせしていく予定です。下の写真は、イベントがない平日での学舎内の様子ですが、興味・関心のある方は、是非とも立ち寄ってみて下さい!来訪をお待ちしています!

                     連絡先:0771-73-0605 

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~丹波史談会 湊 友三郎さんの講演より~
1.本能寺の変:三つの要因
  ・信長に自分が殺られる恐怖から叛意。
  ・信長による四国政策の転換に対する不安。
​  ・本能寺の警護手薄な宿泊。
2.明智光秀の三日天下:極秘の単独行動
  変後の敗因は、細川・筒井氏等の力武将を味方
  にできなかったこと。他の武将は「光秀は右腕
  的存在、次の天下人は秀吉」​を選択した。  
3.羽柴秀吉の天下統一:信長の後継者
  高山・池田氏等の有力武将を味方につけ、巧み
  な情報操作と迅速な中国大返しにより、山崎の
  戦いで光秀を破り天下統一への足固めをする。
 
 
 ~丹波史談会 小畠 寛さんの講演より~
 明智光秀は、本能寺の変で主君織田信長を討った下剋上の主で、また比叡山焼き討ちの実行犯として主導した、悪辣非道・暴虐的な謀略家という烙印を押されている。
 光秀は果たしてそのような悪者だったのだろうか?信長の命により代官として丹波入りした彼は、亀山城・福知山城・周山城などを作り、地子銭免除や水害防止用堤など城下の領民に善政を施した名君として末長く慕われており、また協力した国衆への病状を気遣う書状も残されているなど優しい一面がある。
 明智光秀の人格と「本能寺の変」の真意(私見)
1.教養人であり決断力のある武将だった。
2.説得しても従わない勢力には果断に対処した。
3.恩のある信長の意には基本的に背かなかった。
4.家来・与力・領民には優しく思いやりがある。
5.戦国の世を早く終わらせたいと希求していた。
6.信長の天守論にはついていけなかった。
7.天正10年の5月末から6月初めは、絶好の
  機会​だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 ♪♪♪ 世界音楽探訪:イタリア ♪♪♪ 

  亀岡出身のソプラノ歌手 服部響子さんと、亀岡在住のピアニスト 前田奈々子さん

  をお招きしてのクラシック・コンサート! 久々にクラシックの調べを生の独唱と

  演奏で聴くことができ、充実した楽しいひとときでした。普段はTV・FMかCD

  でしか聴けない音楽に直接触れる機会をプレゼントして頂き、感謝・感激です!

  服部響子さん、前田奈々子さん、これからもその澄んだ声と音色を少しでも多くの

  人たちに届けてあげて下さい。応援しています!

下の写真はその時の様子です。画像をクリックすると拡大できます!

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

更新日2021/5/5

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